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2011.10.04 不良的な男
このあいだ深夜にテレビを観ていたら、不健康だが筋肉の塊のオヤジがいた。


髪の毛は金髪で側面を刈り上げていて、なんでこの年でこんなことになっちゃってんのかな、

なんかこれはかわいそうだな

と思ったら、長渕だった。

mai_image_l.jpg





長渕は一部ではえらい人気がある。

高校生の時も長渕にはまってギターをやりはじめたホリケンみたいな友達もいた。


俺は、汗臭い音楽に対して別になんとも思わないが。

というより個人的には強要する感じが相当に苦手。



その苦手な俺からしてみると、

長渕剛はどこからどう見てもかっこよく見えない。

しかし、この人がかっこよく見える文化圏ってのもどこかには存在しているわけだ。

その「どこか」を特定することはなかなか難しい。


が、大雑把にいうと、長渕のスタイルは、「反社会性」=不良的なものなんだとは思う。

ヤンキーの本流は矢沢永吉で、長渕なんとかはそれよりも憂国っぽい政治思想が、入ってくるんでちょっとズレているかもしれないけど、反社会性なものという点では括れると思う。


単に不良的っていうより、もうちょっと宗教のような気持ち悪いものだと個人的には思うけど。


この「不良的なもの」の生命力は異常なくらい強靭だ。


「日本文化の底流」に存在していた。


でも、今はどうなんだろ?

不良的ということは「全体には」通用しない、一種のマニアなもののような気ががする。

不良の神器っていうとタバコとサングラスとバイクとSEXだけど、タバコはもう吸ってるだけでかっこ悪いの条件に入っちゃうし、サングラスだってこれを「かっこよさ」の記号として扱うのは相当に難しい。

たとえばこれが25年位前だと、不良的なものって薄く広く若年層を覆ってた。

たとえ嫌いだったとしても、認めざるをえない「かっこよさの基準」として
不良のどこかに存在してることはだれでも知ってる。


でも、僕は興味ないですか...みたいな。



それと比較すると、今、昔でいう不良的なものは通用するのかな?

リーゼント

ボンタン


不良的なものって基本的には保守的で、なかなか変化しないから。



彼らは迷う必要がない。


めざす場所は決まってる。


この「決まってる」っていうのは想像以上に重要なんじゃないかと思う。ロールモデルがあるってけっこう大事なこと。


人間には自由意志があるったって、なんの根拠もなく大人になれるほど意志って自由でもないし。

反抗するにしろ、従属するにしろ、枠組みってあったほうが、少なくとも楽は楽。

で、疑問に戻る。

今の時代の「不良的なもの」でないかっこよさっていったいなんなんだろう?


一度解体すること、言い換えれば、疑うことを知ってしまった人は、以前の場所には戻れない。

解体されない強度を持つ新たなかっこよさを開発するのか(しかしあまりに強度が高いと、強度が高いということ自体によって解体される可能性があるわけだけど)、あるいはかっこよさを軸としない別の解決策を見つけるのか?


これに回答を与えられる人が次のかっこいい時代を引っ張る人になるんだろうけど、でも引っ張る人って往々にしてなんにも考えてなかったりもする。


戦略的な作りだされた不良っているのかな?

不良は作り出せるか?



おわ(^-^)/り



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