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2011.04.27
人間は一個の球である。

表面は鏡面仕上げで、外の刺激を受けてさまざまな反射をする。
しかし、完全な球体であることは不可能で、また完全な鏡面であることも不可能だ。

ゆえに、人間は外からの刺激に対して様々な乱れた反射をすることになる。



球の内側には実質が詰まっているから、反射はあくまでその実質を受けてのものであり、あるときにはきらびやかな虹色をしており、あるいは、「鈍い光」しか返さない人もいる。


仕事で、「反射感」がある人というのは、勘がいい人だ。

そうした人は、過去の日常生活のなかで積み上げてきた技術を、仕事に転用できるものはすぐにそのようにする。
他人と自分の比較参照に長けているので、人の知識を盗んで活用するのもうまい。

そうした特質を持つ人はそれなりにいるのだけれど、総じて「ピュア」で「情報感受性」が高い。

こうした二つの特質が合致している時、外の刺激に対して、フィルターを通して、きらびやかな光を放つ。
おそらくこうした状態にある人のことを周りの人はこう表現する。


魅力的。



しかし、この鏡が環境や社会的変化をきっかけにして、陰ってしまう時がある。

たとえば、物を観るときの感性が、

「すげーおもしれー!」

から、常識的な定型句になっていることに気づいた時。

周囲から見て、本当にそれを面白がっているようには見えなくったときかもしれない。


感覚としては、

「錆び付いている」

「なんだか翳った」

と思っているということだけだ。

なにをもってして「翳っている」のかもわからない。
しかし、翳り続けると「普通」になっていく。

刺激に対して、光を返し方が分からないというか、ワクワクするような楽しさが失われていく。

どの刺激に対しても、同じ角度で光を射出する傍観者のような「普通」の人々の一部になってしまう。


環境がありきたりになってしまい、秘密を見ることを諦めてしまったか。息苦しい「常識」やらでとりまかれてしまうか。


怠惰、諦め、限界



「知っていること」は既に固形であり、静物であり、
「諦め」は人に対して、刺激を与えない。


例えば

道端の小石、ガラスのショーウィンドウに映り込んだ青空、大気中の水分などの周囲の事物が、全て物との関係性がこの世界であり、鏡に映る刺激物であり、やかましく主張する世界に住んでいる。


「翳る」ということに対しての恐怖と闘い、すぐに傷ついてしまうような鏡面を必死で守る。

そうした人たちは、魅力的に輝いている。



おわり(・∀・)



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